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ディンゴの里
Trumler Station Wolfswinkel 2
「ここでは私は犬である−ここではそれが許されている」

エーベルハルト・トルムラーが晩年12年間暮らしたヴォルフスヴィンケルの家の壁に掲げてある
この言葉。
当たり前のようなことなのに、この犬学者の犬に対する想いがなぜか心に滲みる。

Trumler Station Wolfswinkel 1
このトルムラー研究所で生まれて初めてハイランド・ディンゴと接触。
足元に転がるディンゴの首周りのもふもふした毛を撫でるうち、先代の柴犬を思い出した。
| Kyoko Alscher | 21:36 | comments(3) | trackbacks(0) |
Comment
なんとも素敵な言葉ですね。
平岩米吉氏を彷彿とさせます。
私もこんな風に生きたいな。

最後のディンゴの写真は、京子さんがおっしゃるように、一昔前の、現代的な日本犬とは一味違う、懐かしい日本の犬の面影を写しているようにも見えました。
Posted by: Liou |at: 2010/05/25 10:53 PM
Liouさん
ご無沙汰です。(^^;)
なんだかね、ジンときました、この言葉。
犬のありのままを受け入れることができるという懐の大きさを感じます。
実はこの言葉、ドイツ語ではいろんな風に置き換えられて使われておりまして、「ここでは私は人である−ここではそれが許されている」なんてのもよく言われるのです。
これも考えさせられる言葉です。
ディンゴはやはりイエイヌが野生化したものだなという感じが伝わってきました。
オオカミやジャッカルなどの野性味とは異なる雰囲気と、そしてボディランゲージがやはりイエイヌのものでした。
うちの先代犬は黒四つ目だったんですけど、豆柴とは比にならないほど大きな、プリミティブドッグのような柴でした。
いまでも古いタイプの柴は田舎に行けば見られるのかな?
Posted by: Kyoko Alscher |at: 2010/06/01 10:49 PM
ディンゴの横顔を目にし、思いがつのります。
穏やかに目を閉じるディンゴの横顔は、機能美を有していた昔の日本犬に通じるものがあると思います。
厳格なドイツの元にいるサルーキーがうらやましいです。

30年前に我が家にいた秋田の素朴な面影を探していたら、マタギと写っている白黒写真に辿り着きました。
現代的な犬は美しいと思います。
でもプリミティブドッグはプリミティブな姿を残して欲しいと思うのは、私の勝手な思い込みでしょうか。
田舎のほうにはまだいるのかもしれませんが、早くから山出し犬の血は貴重で(猟師は猟能改善の為に交雑させることは厭わなかったので)、都会に出れば良くも悪くもおおらかな昔の時代、あっという間に日本犬は雑種化しました。

ある海外で出版された犬の本に日本犬が載っていました。
日本犬のブリーダーさんと一緒に見ていたところ、その方は、明らかに一度小型洋犬の血を混ぜてその後大きくした痕跡があると、本来の日本犬には見られない様々な特徴を指摘しておっしゃっていました。
でも残念なことに撮影場所は日本と思しき風景でした。

穏やかな性格を選別していったらSibfoxみたくおのずと色素の要素が落ちて行くのかも知れませんし、サイズを大きく、また小さく固定するには、絶滅寸前の系統を探し出すよりかは数多いる洋犬を入れたほうが手っ取り早いのかもしれませんけど。
けどね・・・
日本犬って日本にいたらありふれた存在だと思ってましたけれど、四国や紀州はとんと見かけなくなりました。
なんだか気付かないうちにひっそりと絶滅していそうで、ふと怖くなっています。
残っていても、昔の面影を今後彼らに重ねあわすことが出来るのか甚だ疑問で、やりきれないものがあります。
Posted by: Liou |at: 2010/06/02 1:12 AM








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